先日本棚を整理していたら、昔の日記が出てきました。毎日ではなく気が向いた時に、時々書いている程度ですが、二年前のその中には、まだロードバイクと出会う前の私がいて、ロードバイクと巡り会った運命、と言うと大袈裟ですが、そのいきさつを鮮明に思い起こさせてくれました。


私がなぜロードバイクを始めたのか。なぜロードバイクにハマったのか。今まで誰にも語ったことのないその詳細。ちょっと話が長くなりますが、おヒマなら続きをどうぞ。

DSC06549


私は一度、肺を患い、死にかけたことがあります。

2015年の4月末。突然、熱が出て、元来丈夫な身体の私は深刻に受け止めることもなく、季節外れのインフルエンザにでもかかったのだろうと、翌朝這う様にして近所の内科に行きました。内科の先生は、即救急車を呼び、私は大きな病院に転送。「いやいやww大袈裟やろw 実家には連絡しないでくれ」と言っていたのに、病院側が家族を呼び寄せてしまいました。

私は、HCU(ICU集中治療室のひとつ下のランクらしい)で、仰々しいモニターがたくさん並んだ機械に、チューブで繋がれました。家族がベッドの傍らで見守る中、真綿を詰めたような真っ白い影で曇った私の肺のレントゲンとCT画像、その隣に全くと言っていい程同じ症状の、肺がん末期患者のものが並べられました。

「組織検査前なので、100%とは言えませんが…」と神妙な顔をした先生が、その2つを比較しなんやかんや説明した後「ご覧の通り肺がんの可能性が非常に高いです。検査をしようにも、今の肺が弱りすぎていて、検査後麻酔を解くことが出来ず、そのまま寿命を迎えることになるかもしれません。」と。


私「このままだと後どれくらい生きられますか?」

医師「一ヶ月か、もう少し早いかもしれません」 



ガチ余命宣告やん!!


泣き崩れる家族をよそに、私は意外にも怖いとか悲しいとかは感じませんでした。

まさかのEND!? 予想外の展開だけど、30代でガンで死ぬ…まぁよくある話だな。わりと好きなことばかりしてきたからやり残したこともないし悔いもないな。自分の貯金で葬式代賄えるかな。」

くらいしか思いませんでした。熱が40度あったので、頭が回っていなかっただけかもしれませんが。


1週間後、何らかの原因で肺がアレルギー症状を引き起こし、肺がんそっくりの症状が一時的に出たのだと判明。炎症を抑える投薬が続けられ、入院から三週間で、切ったり縫ったりすることもなく、無事退院しました。


IMG_3644
(友人からのお見舞い品で可愛い感じになっていますが、30過ぎの場末の女の病室です)

IMG_3726

IMG_3723

(ヒマなのでよく作品づくりをしていました)


奇跡の生還に、周囲からは「生命力が強すぎてキモいw」とお褒めの言葉を頂き、「黒い流星」とあだ名され、ゴキジェットを丸々一本を点滴で送り込まないとこいつは死なないなどと、賞賛されました。


しかし誰にも言えませんでしたが、実のところ、退院してからはかなりしんどい日々が待っていました。

ガンでなかったにせよ一度は「余命一ヶ月の肺」となった私の身体が、日常生活をまともに送れる様になるには、そう簡単ではなかったのです。

退院後二週間くらい実家で養生していましたが、ひと月以上仕事を休んでいることへの焦りが、日に日に募ってゆくばかり。実家にいれば食べることには困りませんが、自宅の家賃や光熱費など最低限の支払いはあります。治療費や入院代もかかっているので、貯蓄は減っていく一方。生活を立て直すためにも、自分のアパートに戻らなければと、家族の心配に「大丈夫だから!」と笑顔で返し、自宅へ戻ったのは余命宣告の日から1ヶ月半たった頃でした。

仕事は週2日、出来るだけ座っていられる楽な仕事を回してもらい、どうにか働き始めることが出来ましたが、300m歩くだけで目眩がし、10分間立って打ち合せをするだけで、その場にしゃがみ込みたくなるのを歯を食いしばって耐える日々。仕事を受けている以上「病み上がり」は言い訳にならず、キツいなら家で寝てろよって話で、現場に出てきている以上は同僚にも負担をかけるわけにはいかない。
仕事のない日はスーパーに買い物に行く以外は、殆ど寝て過ごしました。というか起きていられなかった、という方が正しかったかもしれません。


【その当時の闘病記】

これまで心配かけた家族に、これ以上の心労は絶対かけたくない。
病院に飛んできてくれた友人達とは、笑顔でバカ話をしたいから暗い顔は見せたくない。
駅の階段が上れない。苦しい。いつまで後遺症が続くのか。不安でしょうがない。
このまままともに仕事が出来なかったら、どうしよう。どうやってひとりで生きていこう。
誰にも言えない。頼れる人はいない。誰かに「ツライ」と一言だけでいいから言いたい。


涙で綴られていた。



今、読み返してみると、

誰かこの子を抱きしめてやってくれ( ;∀;)


退院から3ヶ月後の再検査。肺は良好。退院直後は思わしくなかった血液の数値も正常値。なのに直ぐにぐったりしてしまうのは何故かと、担当医に尋ねると、体力が落ちているからだと。

そんなに簡単に体力って落ちるものなんだ!!でも身体にどこかしら問題があるわけじゃない。落ちた体力は、鍛えれば元に戻せる!!

それから仕事のない日は、ひたすら歩く様になりました。もちろん目眩や倦怠感は繰り返し襲ってきますが、検査の結果は正常値。これは気の迷い。と自分に言い聞かせ、ひたすらに歩きました。漸く歩くのに慣れて来ると、今度は強くなりたいと思う様になったのです。身体が動かないことからの不安や孤独から逃れたかったのかもしれません。
体育は得意な方でしたが、しんどいのは嫌いなので、長距離を走ろうなんて発想は、以前は全くありませんでした。しかしウォーク&ランを繰り返し、次第に1キロ走れる様になり、5キロ走れる様になり、秋には10キロ走れる様になりました。

10キロというのは車で走ればあっという間ですが、自分の足で走ってみると、わー!自分の身体だけでこんな遠くに来ちゃたよー!!と感動したものです。それと同時に自分の力でもっと遠くに行ってみたいなと思いました。

ランニングの帰り道「15キロ以上走ると膝が痛くなるから、サイクリングっていうのはどうだろうか?入院してた時、暇つぶしにと友人が教えてくれたあのアニメ。弱虫ペダルだったか。面白かったな。ロードレーサーって呼ばれてたっけ?あの自転車なら遠くに行けるんじゃないだろうか?」


ロードバイクなんて乗ったこともないし、実物を見たことすらありませんでした。ただのちょっとした思いつきでした。でもなんの迷いもなく、すんなりと、あの速そうな自転車を買おう!!と思ったのは、きっと見えない何かに与えられたのだと今でも思っています。(帰宅後、ネットで検索したときは、想像を絶する値段の高さにコーヒーを吹きましたがw)

11月のはじめに降って湧いた様な思いつきで、12月10日納車された白いロードバイク。それが今の相棒、蜂蜜号です。

色んなメーカーを比較検討したり情報収集するのは、面倒くさがりなため苦手。

・ウエアや小物諸々含めて予算は30万円。
・車体は絶対に白。
・ブレーキは105以上。

それ以外は特にこだわらない。
というアバウトな探し方をして、何となく目に留まったのが、corratec。少し調べてみると、「質実剛健」と評されることが多いようで、その地味さが気に入りました。人気もあまりない様です。しかし悪い評判もあまり見かけません。

多くのローディーは自分のロードを、カッコいいと思って購入しているのだと思いますが、実は私は自分のロードバイクをカッコいいと思って購入したわけでありません。どちらかと言うと垢抜けないし、ちょっとダサいと思っていますw でもそれくらいがちょうどいい。真面目で地味で良い人そう、そんな自転車が長く付き合っていけそうな気がして選びました。


ロードで初めて出かけた日のことは、多分一生忘れられません。とてもとても寒い日でした。


いつものジョギングコースをあっという間に抜けて郊外へ出て、今まで見たことのない土地を風を切りながら、寒いwwwと笑いながら…涙が横へ、横へと流れては消えていきました。なんの涙だったのかは、自分でもよく分かりません。往復で40キロくらいだったと思います。息が吸えていること、ハンドルが握れていること、ペダルが踏めていること、心臓が波打ち血液が身体中を巡っていること。そのどれもが愛しく、有り難く思いました。

田んぼのあぜ道に腰を下ろして休憩している時、ふと手をついた先に、薄紫色の小さな花が寒空の下、誰に知られることもなく凛と咲いていました。その姿を見た時「こんな美しいものに今まで気づかずに生きてきたんだな。あぁそうか。この花を見るために、私は生かされたんだな。」と長い間ぼんやりと眺めていました。
山頂からの絶景も良いものですが、それよりも林道の苔や小さな花に心惹かれるのは、この経験のせいかも知れません。

その後、山、海、川へを出かけていく様になるのは、このブログを読んで下さっている方々にはご存知の通り。もちろん、現在、私は健康そのものです!



ロードバイクなんてホントお金がかかるばかり。メンテの手間もかかるし、周囲の理解を得るのも大変。それでも好きで好きでしょうがない、愛して止まないロードバイク。きっとその一台に、その人それぞれのドラマがたくさん詰まってるんだろうなーと、見知らぬローディーとすれ違うたびに思います。